京都には暖簾を製作されている業者が多数あり、
日本の伝統文化をしっかりと守り続けています。
京都から歴史を学ぶことが出来るのですが、暖簾という言葉を
簡単に読むことができる人も多く、違和感なくのれんと読むことが
できる人が大半ではありますが、暖簾の暖という文字にはだん、
もしくはあたたかというような読み方しかしません。
しかし、なぜ暖簾だけは暖をのれんとして読むことができるのでしょうか。
暖簾は元々は鎌倉時代には「とばり」と呼ばれていました。
しかし、室山時代からは「とばり」という言葉は使われなくなり、
「たんれん」と呼ぶようになったと言われています。
「たんれん」は「垂れむしろ」というような意味があり、
布を垂れていたことからこのような呼び名となり、
のんれんが転訛し宋・元音の「なんれん」「なふれん」を
借用したものであるとされているのです。
そのため、暖簾は元々はたんれんと読んでいたのですが、
それが転訛しなんれんと呼ばれている期間が長く
現在ののれんという言葉に収まっているとされており、
長い歴史のなかでも呼び名が変わっていったものの
その姿は変わらずに現在の日本家屋や店などの顔としても
愛用されており、なくてはならないものとなっています。
史料に暖簾が登場するのは平安時代末期
暖簾がいつ頃から日本にあったのかというのは
定かではありませんが、暖簾は平安時代の末期である
1135年~1140年代に書かれた「信貴山緑起絵巻」の中には
庶民の家に現在と同様の半暖簾がかけられている様子が
描かれています。
そのため、平安時代の末期にはすでに日常の道具として
親しまれていたことが理解できるのではないでしょうか。
一説には暖簾というものは、鎌倉時代に中国から
日本にやってきたとも言われていますが、平安時代の巻物を見ると
それ以前には日本にあり、平安時代の末期の作品に庶民の家に
現存しているのであれば、それ以前にはすでにあったと考えられ
暖簾が日本で使われるようになったのは平安時代初期、
もしくはそれ以前であると考えられています。
さまざまな説があるなかで、「信貴山緑起絵巻」に描かれていた
庶民の家には当然のようにつけられていた暖簾の状態を見ることで
暖簾の歴史の奥深さに触れることが出来るのではないでしょうか。
正確な誕生にまつわる歴史というのはまだ解明されていませんが、
平安時代の末期にすでに愛用されていた暖簾が現在に引き継がれていき、
柄などは変わったものの形は変わらずに日本の歴史の一つとなったのではないでしょうか。